リハビリテーション×アクセラレーター=イノベーション

リハビリテーションが必要な方に必要なだけ必要なときに提供出来る仕組みと、制度を作るための学習的な事を書いています。

どうなっていくんでしょうね?

いつもまとまりに欠けている文章ですいません。また思っていることをつれづれと書いていきます。

漠然とした考えとして、リハビリテーションって定義されている事の究極の形ってなんだろう?と考えを巡らせる事がよくある。

なんだと思いますか?どんな形なんでしょう。

あくまで個人的な考えはあるんです。

キーワードは

ものつくり、土いじり、収穫、会食、世代間交流、笑い。

昔の暮らしや自然が豊かな場所のような生活が一番いいんじゃないかと思うわけです。

だって昔はリハビリテーションって無かったですからね。平均寿命が延びたていうのもあるでしょうけど。

畑にするため土を耕し、肥料を撒き、植える作物を考え、育てるための学びをして、植えて、育てて、管理して、成長を見守り、自然と共存し、日の光を浴びて、夜は疲れて熟睡する。

実りをみんなで祝って、お祭りをして。雨降りには出来ることをやって、冬は屋内施設で運動する。

人間味の溢れる生活。原点回帰。なんて素敵な生活。

それはあくまで理想としてだけど。都心部じゃ畑耕せないし。

話は変わって、誤解を招くような書き方になってしまうけど、介護保険を使うのは中重度の方だけに限定されてくるような気がしている。

要介護345だけ!とか。そうなっちゃうと制度自体が無茶苦茶になりそうだけど。

そうなると、要介護12の方々はどうなるの?

やはり国が推し進めている地域包括ケアシステムの中に組み込まれていくんでしょうねー。

これくらいの介護度の方は良くなる可能性も高いけど悪化する可能性も高い。

そこにこそ、療法士の活躍の場がある気がしてならない。

そもそも、逆説的に考えると、介護保険が出来たから介護が必要だと言うことになり、民間参入の影響もあって、色んなサービスが生まれてきた。

必要なものもたくさんあるけど、そうでないものもたくさんある。

地域をマネジメントしてデザインしていく役割は、療法士の評価能力とか調整能力が一番適していると思っている。

地域資源を客観的に評価して、必要なものを増やし、必要性の低いものは減らす。そんな役割を任されるような療法士が増えるといいな。